”新年初買出し”に”新年初運転”〜^^ 1・5

今日は1月5日〜〜”新年初買出し”に”新年初運転”〜^^
今年はスーパーも3日まで完全休みなので年末は少し多めに買い込んでたため、そんなに買うものはない。
神社への初詣で利用され混み合う駅デパ駐車場も平日だから〜っと期待してたが、やっぱ屋上駐車場しか空いてなかった。笑
何年ぶりかの屋上からの景色〜〜六甲山の山並みをパチリ。
街中心辺りは海抜1〜3mのところがフツーの地域。
特に婆さんの買い物ルートは海岸近くが多いので、買い物出てる時に津波警報が鳴ったら逃げ込める高いところはピックアップしておけっとずっと言われてたが軽くイナしてた。ーー::
でもそろそろ考えとかなきゃ〜っと。
1995年1月17日の早朝の阪神・淡路大震災からはや29年・・・今住んでる市は大きな被害があったところ。
軒並み古い家が倒壊し、高速道路も傾き、多くの方が亡くなったところ。
今は美しい街並みでどこを見ても震災当時の面影は見当たらない。
10年前にここにきてあっちこっち徘徊してた時、住宅地のあっちこっちに昔ながらの手押しポンプの井戸が、個人の自宅の塀の外にあるのを何ヶ所か見かけた。
酒蔵の宮水も広場のようなところに設置されてる。
水不足の中、多くの人々が飲み水として命を助けられた水〜〜自宅を建て直された時にあえて井戸を外に出された住民の心意気に頭が下がった。
大災害の教訓が生かされた街。
1月17日には市の地域の放送が一斉に「これは訓練です」と鳴る。
でも、30年という歳月は人の心から”災害への危惧”を薄めて行ってるのも事実。
阪神淡路では津波被害はなかったけど火災でよく知ってる町が真っ赤に燃えるTVの映像は強烈で釘付けになった。
同じ瀬戸内海沿線に住んでるのに少しの違いで我が家地域は大きな揺れだけですんだ。
2011年3月11日の東日本大震災の時は北軽小屋で連絡の取れない次男一家の無事をただただ祈る3日間。
家族の安否がわからない不安、何もできないジレンマを体験した。
それももう13年が過ぎて大変な思いをしたはずなのに記憶の中から薄れて行ってる。
いつ誰が遭遇してもおかしくない地震災害。
危機管理を〜〜っと言われてもつい平穏な毎日にアグラをかく婆。
今朝も「下の街中で逃げ込む高いとこってなかなかないもんだねえ」っと言ったら、M-ちゃんが「とりあえず家に帰ってくるのが一番よ」って。
そっか・・・渋滞で動かないなら車を捨ててでも、張ってでも「山の方!家にむかう」と決めとけばいいのかも〜〜っと私の中でとりあえず一件落着。笑ーー;;
やっぱ単純・天然な婆さんだ。

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