7年前の”過去のこの日”〜〜^0^ー  12・19

Facebookの”過去のこの日”に7年前の12月19日の記載が出てきた。
8月に檜洞丸(ひのきぼらまる)に登ったのは覚えていたけど、12月19日に2度目に登ったのはすっかり記憶からぶっ飛んでいた〜〜笑
よかった〜”思い出”に出てきてくれて。
もう7年前にもなるんだね〜〜年月の過ぎる速さにまたまたびっくり。
それだけ歳取ってるんだ・・・そら、記憶も朧げになるはずだ/////
8月28日に父ちゃんのリュックを背負って初めて檜洞丸を歩いた三男。
頭にカメラをつけて実況中継しながら登山の様子を送ってくれたっけ。
おかみさんに頼まれて山小屋の柱の修理をしたそうだ〜〜
全く登山とは縁のなかった三男が突然、何を思ったか丹沢に登ったこと。
それが親父さんの亡くなる5ヶ月前・・・・。
なんか今思えば・・・親父さんとkunちゃんが呼んでくれたのかな〜〜”人の縁と思い”〜不思議なことがあるものだ〜〜笑
憧れの親父さんが50年以上過ぎてもちゃんと中・高校生のkunちゃんと親友のことを覚えていてくださったことを教えてやりたいなぁ〜〜サイコーに嬉しいだろうなぁ〜^^
:::::::::::::
:::::::::::::
過去のこの日
7年前
2015年12月19日 ·
12月13日に「檜洞丸登頂2回目」の短いコメントとともに三男坊から送られてきた1枚の写真。
あら?まっ?また 丹沢に行ってたんだ〜〜@0@
先月檜洞丸・青が岳山荘の親父さんが亡くなられて・・・・親父さんにお世話になった山男たちが「お別れの会」の「青が岳山荘感謝の集い」を開くので三男もおかみさんに招待されてたらしい。
*************
8月28日、kunちゃんの歩いた同じルートを父親のリュックを背負って登った登山など全く初心者の三男。
kunちゃんが中・高の時に毎週通い詰めたと聞いてる「檜洞丸・青が岳山荘」に立ち寄った。
親父さんは体を壊されて山を降り、今はおかみさんが山小屋を守っておられるという。
山を降りたおかみさんが親父さんに中・高の時のkunちゃんと親友の写真を見せたら「頻繁に来ていて日帰りが多かった」と嬉しそうに思い出してくださったのだという。
泊まるお金がないのでずっと日帰りしてたそうで、見かねて親父さんが泊めてくださったり・・・・
その代わり物品の荷揚げや水汲みを親友と二人で手伝っていたそうだ。
kunちゃんはずっと親友に「親父さんみたいに廃材で山小屋を建てて親父さんのような山番になりたいんだ〜^^」ってずーっと夢を語っていたそうだ。
(このことはつい先日、はじめて親友から聞かされたわたし・・・・)
たくさんの登山者の中、しかも半世紀も昔になるのに写真を見てすぐに思い出してくださったことだけでもすごいこと。
そして・・・・・11月末、入退院を繰り返されていた親父さんは旅立たれた・・・・・
「一度親父さんに会ってみたかったなぁ・・・残念だなぁ・・」三男がポツリと言った・・・
***********
4人の子供達には自分のことは自分の口からは一切話したことがなかったkunちゃん。
父親のことはほとんどが母ちゃんを介して知ってるだけの子供達。
母ちゃんでさえ、丹沢のことも、「丹沢は俺の庭だ〜^^」って嬉しそうに話すkunちゃんぐらいしか知らなかったのだから・・・・。笑
親父さん、三男が丹沢に来るのを待ってて下さったような・・・・・そんな気がして。
不思議なこと、驚くようなこと、嬉しいこと、感謝すること・・・が次々と・・・
これもkunちゃんが繋いでくれてる「縁」かもしれないと思う日々〜〜
今頃は、kunちゃん、憧れの親父さんと昔の積もる話をしてるかな〜〜笑

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です