祭りのお・も・ひ・で〜〜^0ー 10・5

フッとそろそろ実家のある地域はお祭りだなぁ〜っと思い出した。
10月7・8日が播州地方一帯の最初の祭り〜^^
14・15日には昔から歴史のある”灘のケンカ祭り”がある。
神輿と神輿をぶっつけ合う勇ましい祭り。
豪華な屋台も出て町ごとに浜の男たちが担いで山の坂を上る。
灘の地域は今も”正月よりも祭りが一番”の気質の人が多い。
昔から浜手で漁師さんが多かったので荒っぽく勇ましい祭りになったらしい。
その流れでか、隣町のうちの地区の祭りも豪華な屋台を練り合わせて勝負を挑む気質が受け継がれてるようだ。w
灘の気質を持った方が町の役員になられて、とうとう町に”子供屋台”が作られてしまい・・・結局子供会&中学会の親は祭りで借り出され・・・3学年差の4人の子持ちのお陰で祭り前の9月から10月中頃まではドタバタ〜〜ドタバタ〜
自分の子供が太鼓を叩いてる姿の写真も撮れない状態。
次第に役員さんたちは小さな子供屋台で飽きたらずに、次男の時はとうとう本物の大きな屋台になってしまった。
これで子供会はお役御免かと思いきや、2日間町の小学生を全員縄の中に入れて、親も一緒にマイクを持って”ヨーイヤサ! ヨッソイ!!”っと大きな声で掛け声をかけながら屋台の後について、朝から夕方まで延々と町を回って歩く。
小さな頃のお祭りは”綺麗な着物着て出店を回れる〜”楽しいお祭りだったのに、町に屋台が出来てからは”早く子供会卒業したーーい!!”っと思うばっかり〜〜だった・・・にがい思い出〜〜笑
末娘の手を引いて、ハッピ着て町の子供達と縄の中でゾロゾロ歩いてると、上の子の同級生のお母さんたちに”あれ?まだ子供会の縄の中にいるの〜〜!ww”ってよく声かけられて。笑
”ぎょうさん産んだ悲劇や〜〜!”っと大笑いだった。
上の子との9年差は母ちゃんも老化して・・・何せ”キツイ業”だったなぁ〜〜
その反動か、子供たちが全員地区の行事から離れると、途端にお祭りには行かなくなった。w
神社のすぐそばなので太鼓の音や屋台を担ぐ掛け声も聞こえてくるし、道も人通りが多くなるので、後半は祭りの時期には出来るだけ山小屋に逃げていたっけ〜〜笑
そんなこんなのいろんなこと思い出しながら玄関飾りを”お祭り”仕様に模様替え〜^^
屋台(やたい)(播州地方では”やったい”と呼ぶ)のミニチュアはすぐ出たが、その他のがなかなか思い浮かばない。
秋〜〜で米俵、柿、マッタケ〜〜マッタケと『土瓶』で”土瓶蒸し”??連想〜〜爆
提灯は”御用提灯”しかないので裏側を使用。
”花見提灯”も代用〜〜w
お人形は昔”繭人形”作っておられるネット友に頂いたもの。
”竹の花車”の花器は母の娘の時のモノだから・・・80年ほど昔のもの。
もう竹が剥がれかけてるけど・・・・w

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