生き様・・・・

母の女学校からの親友Nおばさんは86才。
母の幼なじみのYおばさんは88才。
Nおばさんは産婦人科の女医さんとして華々しく第一線のキャリアウーマンとしての道を歩かれてきた。
いつもクールで、きりりと引き締まった顔立ちにきびきびした受け答えはまぶしいくらい生き生きと輝いて、幼いながらも「すごいおばさん」だと憧れていた。
Yおばさんは、昔の徒弟制度の厳しい美容師という仕事の中でいじめ、いびりを歯を食いしばって耐え、パーマの技術を会得、まだパーマをかけられる職人の少ない時代、朝早くから夜遅くまで引っ張りだこの時代だった。
その上、お姑さんのいじめ、暴力、搾取・・・・働いても働いてもすべてお姑さんにお金を握られ・・・・
うちの母に通帳を預け、いつもいつも来られると泣いておられた。
「泣きにくるおばちゃん」っという印象だけが強かった。
お姑さんを見送られた後、母の仕事が超忙しく中・高生だった私と妹の食事を心配して数年間夕食を作りに通ってくださった。
・・・それまでは母の仕事が終わってから食事を作るためいつも10時過ぎ・・・・待ちきれずにお菓子などをいっぱい食べてしまっていたので不規則きわまりない生活・・・・笑
学校から帰ると夕食が出来てる生活・・・・しかも無駄なく、安くてボリュームたっぷりで美味しい食事に、食欲旺盛な姉妹はコロッケ30ヶ、シューマイ50ヶ〜〜をぺろりと平らげて〜〜( ̄▽ ̄;)笑
・・・みんな受験で痩せる時期なのに、60キロにもなって・・・担任に呆れられてたっけ。笑
「ここは作っても綺麗に食べてくれて、ほんま作り甲斐があってうれしいわ^^」いっつもそう言ってニコニコ笑って大量料理をいっぱい作って下さったYおばさん〜〜
その後、Nおばさんが大腸癌で倒れ肛門をとってしまい、お腹の横に穴を開け、袋をつけて仕事に復帰。
自営の病院では休むことはできない。
Nおばさんのお母様も同居されていたので、「あれじゃNが死んでしまう!!」と母はYおばさんにNおばさんの所に食事と家事を助けてやってほしいと頼んだ。
Yおばさんはバスー電車ーバスと乗り継いで週3回、Nおばさんの所に通って、食事・洗濯・掃除をして下さった。
そこからNおばさんとYおばさんの接点が始まった〜〜^^
Nおばさんの身体を心配してた母の方があっけなく先に逝ってしまって21年。
その間、Yおばさんは今度は認知症のご主人の介護に明け暮れる13年・・・ヘルパーさんや娘さんの助けを借りながらも自宅で「老老介護」を続け、昨年ご主人を見事に見送られた。^^
まわりが見かねて一時ご主人を施設に預けたが、見る見る痩せて、骨折ばかり、床ずれがひどくなり・・・
まわりの反対を押し切って自宅でずーっと介護。
その甲斐あって、ご主人は顔もふっくら、血色も良くなって、床ずれも綺麗になって、食欲も旺盛で痩せてしまってた身体もふっくらと〜〜^^
他の人には到底マネの出来ない献身的な介護で、ご主人はとっても穏やかな顔の最後だった。
「おじさんは最高に幸せなひとやねえ〜〜」っていつもYおばさんにいう。
「ほんまやわー、私、せいいっぱいしてあげたから、涙もでないんよ〜なんかすごく嬉しいんよ〜^^」
それでも、「お父さんだけは見送ってからでないと死ねない!!」っとご自分も心臓・肝臓と身体中ぼろぼろなのにむち打って無理して介護されてたため、ご主人が亡くなられた後は、おばさんも倒れてしまうのでは・・・っとすごく心配だった。
ご主人が亡くなって1年過ぎ、息子さんが買って下さった室内用手押し車と外用手押し車と四つ足の杖を上手につかいながら、お買い物も病院も一人で行かれてる。
「kaoちゃん、私、今が一番極楽〜〜^^ 誰にも束縛されず、自分のためだけに毎日暮らせる〜〜人生で最高に幸せな毎日よ〜〜^^
今までの苦労を思えば、今が最高〜〜♪」
昔から年よりは10才以上も老けて見え、早くから「おばさん」っていうよりも「おばあちゃん」っていってもおかしくないほど苦労が顔に刻み込まれてしまってるおばさんの顔が、はじめて「なんて綺麗なんだ〜、なんて艶やかなんだろう〜〜」って思えたのだ。
8月にNおばさんのご主人が急に入院された。父の一つ上の89才。
Nおばさんの落ち込みは普通でなく、「私早く逝きたい。S(私の母)のとこに行きたい。」と涙声になるN
おばさん。
「お父さんがいっぱいの管でつながれているのを見たとき、お父さんは早く楽にさせてあげないと!っと夢中で管を引っ張って抜こうとしたの・・・・・・私・・・なんであんなことしたんだろう・・・」
医師としてと、妻としての狭間で自分を責め続けるNおばさん。
「おばさんのやったことは家族なら当たり前。私だって母に馬乗りになって無理矢理心臓を動かそうとされてる医師に「もうやめてください! このまま静かに逝かせてやって!!」って大声で喚いたもの・・・」
でも・・・おばさんの自責の念は強く・・・・
Yおばさんに代わって、母の命令でしばらくNおばさん家の家事を手伝いに行ってくれてたお姉さんに様子をみにいってもらった。
お姉さんは68才、私よりもまだNおばさんの心を聞いてあげられる立場かな。。っと思ったので。
「kao、N先生・・・ただのおばあさんだったよ・・・・・昔のあの姿、面影がないくらい。。。」
それから3ヶ月・・・毎週お水を運ぶ度にNおばさんと話はしてるが・・・話をしてる間も、下駄箱によりかかり、しゃがみ込んでしまうNおばさん・・・・・
そしてすぐに「もう私は逝きたい・・・」っと何度も口走る。
娘といっしょに娘の焼いたお茶碗を持っていった。
食欲がでないというNおばさんに、娘のお茶碗で一杯でもご飯を食べてほしい〜〜
「Eが焼いたお茶碗ならいっぱい食べられそう〜〜」そういって久々に笑顔のNおばさん。
でも娘にまで何度も「早く逝きたい」っていったという・・・・
なんとかしなくっちゃ、このままじゃ、Nおばさんの「生きる気力」が消えてしまいそう・・・
6月に亡くなった同じ女学校からの親友のHおばさんの娘さんからも「まだ母もむこうに行き着いてないのだから、まだまだNおばさんの「場所」はないですよ〜って伝えて!!」ってエールを頂いた〜〜^^
でも・・・・・なかなか良くならないNおばさんの心・・・
「おばさん、Nおばさんのところに行ってもらえる?」
先日Yおばさんに頼んでみた。
「嬉しい!! 私も行ってN先生に会いたかったの。だけどこの足だから・・自信がなくて・・」
事は急げ〜〜!! すぐに翌日雨の中をYおばさんと手押し車とおばさんの手作りのご馳走を積んでNおばさんのところへ突撃。
4時間後に迎えにいった。
帰る時、車に乗ったYおばさんの手を握って「ありがとう〜、ほんとうれしかった〜!」っとボロボロ〜〜涙を流すNおばさん・・・・
Yおばさんの「元気」「気力」を少しでももらって早く元のNおばさんにもどってほしい・・・
母もきっとそれを一番望んでるはず・・・・
「お母さん来てなかった? 帰るとき、Nおばさんのすぐ裏にある母のお墓に、”お母さーん、今NおばさんちにYおばさんも行ってるからいきなさいよ〜〜^0−”って声かけといたんだけど〜〜^^」
「うんうん、来てた〜〜来てた〜〜^^」(Yおばさん)
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人生の生き様・・・・人それぞれにちがう生き様・・・・
ひとりひとりの人生が壮絶な生き様のドラマのよう・・・・
どんな偉い方のお話しを聞くよりも、どんな素晴らしい本を読むよりも、身近なおじさん、おばさんたちの人生の生き様を聞くことのほうが、私にとっては素晴らしい宝物・・・・
そこには必ず母が生きている・・・・