15年前の1993年6月・・・山が手に入ってすぐにうちの山の北の境界の地主さんにお電話した。
山の境界の確認をしたかったので。
隣町に住んでおられるH氏はすぐに乗用車できてくださった。
昔大庄屋さんだったそうで、小作人もいっぱいいたそうだが政策で田圃はみんなとられてしまって・・・っと。
でも、山はあっちこっちにいっぱい持っておられるという。
「山も昔はよかったが、今は山の手入れをするたびにお金がでていくばっかりですな」っと。
kunちゃんが「私も”山持”になったんですよ〜^^」って言ったら・・・
「山持って言うのは、何町歩の単位で持ってる人のことをいうんですな〜。坪の単位はふつーはつかいませんな」って言われ・・・
「1700坪の山持」だと、ニコニコ〜〜浮かれていたkunちゃんは出鼻をくじかれて・・・ショボン・・
それ以来、山を見に来られると、ちょくちょくと覗いてくださって、いろんなお話を聞かせていただいた〜^^
kao父と同じ大正9年生まれにしては身体もがっしりと、矍鑠とされていてとてもお元気だった。
かっては校長先生だったそうで、この後山で生まれ育たれてて、ここの地域の人はほとんどがH校長先生の教え子だと胸を張られていたのが印象的だった〜〜^^
当時6年生だった三男坊が、「あのおじさん、話のあとに、必ず「ですな」ってつけて面白いね〜^^」って言ったことから、我が家ではいつの間にか「ですなのおっちゃん」で通じるようになった〜〜笑
7年目だったか、コーヒーを飲みながらお話してたとき、kunちゃんが畑をやってみたいんですよーって言ったことがあった。
そしたら。。すぐに自宅に電話がかかってきて、「畑が借りれるように話しをしておきましたよ」・・っと。
話の中でつい、話題として話したコトだった・・っとあとでkunちゃんは苦笑いしたが・・笑
それから、あれよ〜あれよ〜っと話がまとまって、丁度休耕されてた山から下ったすぐの棚田の一番上の田圃を借りることができたのだ。
H元校長先生がおられなかったら、きっと畑などやっていなかったかもしれない・・・・
H元校長先生がまず村のT男さんに電話して探してくれるように依頼。
T男さんが紹介してくださった田圃がちょっと距離があるので、なるべく小屋に一番近いところが・・・っとお願いしたのが、今の畑。
あとで聞いたら、T男さんも畑の持ち主のDさんのお父様もH元校長先生の教え子だと・・笑
不思議なご縁でつながっていって・・・今のうちの畑がある〜〜^^
畑をお借りしなかったら、おそらく村の人たちとの接触もほとんどないままの山暮らしを今も続けていたかもしれない・・・
それを思うと、半ば強引に(笑)話を進めて下さった、H元校長先生には感謝してもしきれない思いがする。
数年前、久々に村にお墓参りにきたからと畑作業をしてたところに下りてこられた H元校長先生。
コーヒーでも〜〜っとお誘いして小屋でお話してたら、kaoが蛾・昆虫にはまってることをしって、自分の採った蝶の標本を見てほしい〜〜っとわざわざ自宅までとりに帰って持ってきて下さった。
大事そうに持ってきてくださった標本箱10ヶあまり・・・・・
そして・・教え子が写真をとってくれたんですな〜〜っとわざわざカラーコピーでおおきくした蝶の写真をくださった。
その年のお正月、年賀状をだしたら返事がなく・・・しばらくして、「今東京の息子の所にきています。雪が消えるまでしばらくこちらに滞在することになります」と書き添えられた年賀状が届いた。
それから・・・・・・・・・お会いしてなくて・・・・
毎年、一度あいたいねえ・・どうされているのかな? 来て下さらないけどお元気なのかなぁ・・っと二人でよく話していた。
10日、畑作業をしてたら、猟師のt男
さんが軽トラで上がってこられた。
日陰でいろんな話をしてたとき、ひょんなことでH元校長先生の話題になって・・・・
「あの人も死んじゃったしなぁ・・・」t男さん
一瞬耳を疑って・・・・「えっ? H元校長先生、亡くなったんですか?!! ほんとですか〜!」
思わず大声を出してしまった・・・・
よくよく聞けば・・・t男さんところとH元校長先生ところは遠い親戚関係なのだという。
そういえば・・・「姓」がいっしょだった・・・;;
ここの村は同じ姓の人がいっぱい〜〜@@
その中でも一番多いのがH姓・・・・村の人たちは名字では呼ばず、名前で呼ぶ〜〜笑
ですなのおっちゃん・・・そっか・・・死んじゃったのか・・・
もう一度・・・「ですな」のお話が聞きたかったなぁ・・・・・・
大正9年生まれは今年で満88才。
昨年亡くなられたそうなので・・・米寿前だったのか・・・・
認知症にもなられて施設にはいられてたとも。
蝶の標本を大切そうに見せて下さったときのあの、なんともいえない嬉しそうな笑顔が・・・忘れられない・・・・
ついこの間のことのようなのに・・・・あれがもう数年前だなんて・・・・・
平均寿命は生きてこられたから・・・幸せだったといえば・・そうなのだが・・・なんだか寂しい・・・
東京のお医者様の息子さんには、「この家は私の大切なものがいっぱいあるから、絶対に取り壊したりしないように」と言い残されて亡くなられたという・・
今は家の前に、H元校長先生の愛用の乗用車が人が入らないようにドンと止めてあるのだという。
「あっ! やっぱりあの家がそうだったんだー! 見たような車が門の所に停めてあるなぁ。。っとおもってた」kun
大きなお家も、もう帰って来られる人もいない・・・・